浮世絵 [Ukiyoe]

コラム [Column]

第4話:浮世絵の表装・修復

浮世絵の本紙を飾る表装は、浮世絵にとって重要な要素の一つです。絵柄だけではなく表装まで見るようになれば楽しみも増えますね。たとえば、熱海のMOA美術館にある「湯女図」は、又兵衛作と伝えられる初期肉筆浮世絵の名品ですが、その絵柄だけではなく、表装までとなるとあまり知られていないように思います。というのも、絵ハガキや図録を見ても、表装までは出ていないからです。これからは表装にも注目して、作品鑑賞の楽しみを増やしたいですね。

今日本では浮世絵の表装や修復などの専門的な作業ができる職人さんが減ってきています。当然、美術品の風化は起こる訳で、表具打ち替えや改装、修復といった作業は当然必要になってくるのですが、それを行える職人が確実に減っているのです。

そのため、浮世絵を所有している人にとっても、表装や修復に関してどこに信頼して相談できる職人がいるのか分からないということもあると思います。当社(店)は表装や修復に関する御相談に応じております。日本の美術品、特に掛軸は、その表装の良し悪し、また時間の流れ等に左右されますので、お困りの際はぜひご連絡ください。

2000年 内村修一

第3話:異国で大切に保存される肉筆浮世絵

新聞の報道するところによると、米国のボストン美術館で肉筆浮世絵画約700点近くが見つかったそうです[2000年当時]。その内から鈴木春信の「墨田河畔若茎摘み図」や葛飾北斎の「朱描鍾馗図幟」などの作品、約240点が「ボストン美術館」肉筆浮世絵(全3巻講談社)として6月から刊行される予定です[2000年に『ボストン美術館 肉筆浮世絵』(全3巻+別巻)として講談社から刊行された]。浮世絵「版画」のコレクションにおいて、ボストン美術館が世界有数であることは周知の事実でありましたが、「肉筆」浮世絵もそれほど多くのコレクションがあるとは驚きです。

それにしても、ワシントンD・Cのフリアギャラリーといい、ボストン美術館といい、よくもこれだけの作品を日本から持ち出してくれたなあと思います。これらの名品を海外に流出させたのはフリアであり、ビゲローであり、岡倉天心等ですが、本当に多くの作品を持ち出していってしまいました。

彼らは浮世絵の美的価値を、ときに日本人以上に理解したのです。それは、収集した浮世絵の管理の仕方にも現れています。驚いたことに、フリアギャラリー(ワシントンD・Cのスミソニアン博物館の内にあり、たしか地上は二階建てだったと思いますが、地下は深く、核シェルターまで備えているらしい)では、肉筆浮世絵は門外不出で、修復の為に日本に持ち出す場合は、フリア氏の遺言を裁判によって一時中断し、しかるのち日本に持ち出すという仰々しさです。

更にフリアギャラリーでは、収蔵の日本作品修復の為に日本円で億単位の予算を用意しているというのです。日本人がまだ余り知らない肉筆浮世絵をここまで大切に扱ってくれるとは正直いって汗顔の至りです。

2000年 内村修一

第2話:世界の巨匠「北斎」

世界でも非常に有名な日本人の一人で、かつウィーンの平和評議会で世界文化巨匠の一人として顕彰された日本人は誰でしょう?

答えは葛飾北斎です。北斎は1999年にアメリカの雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、マザーテレサやガンジー、ピカソと言った世界的有名人と肩を並べて、80何位にランキングされた唯一の日本人なのです。彼はまた、1960年にウィーンの平和評議会で世界文化巨匠の一人として顕彰されてもいます。

では、「北斎」とは一体どんな人物なのでしょうか。まずはその性癖から。生涯に住まいを変えること90数度。その名を変えること30数度。これだけでも十分驚くに足るのに、これほどの「名画」、「名品」を遺しながら生涯赤貧洗うが如しの貧乏生活だったというのです。住まいを90回変えたって豪華なお屋敷に変えたわけじゃない。大八車(リヤカーのようなもの)にわずかな荷物。飯喰茶わんに綿の擦り切れた布団。画材なんかも、ちゃんとあったかどうか解りゃしない。こんな貧乏たらしい爺さんが、日本が世界に誇る巨匠なんですね。娘もいたし孫もいたらしいが、娘は出戻りの横着女。孫ときた日には、博打うちくずれらしく、色んなところで不義理をし出かした。そのせいで北斎の生活が豊かじゃなかったんじゃないかとも言われています。しかし、北斎が家族や金に恵まれない孤高の人だったとしても、彼の芸術家としての魅力は失われるばかりか輝くようにすら思われます。

1999年 内村修一

第1話:肉筆画と版画

浮世絵は江戸時代に発達した日本画中の一画派で、世界中に知られる日本を代表する絵画です。肉筆画と版画に大別できます。

浮世絵は桃山時代から江戸初期に流行した初期肉筆浮世絵を母胎としており、菱川師宣(1630〜1694)登場後、一度に大量の作品を生み出せる版画手法や、風俗や風景の主題を取り入れていくことで江戸庶民に広く受け入れられました。それゆえ、浮世絵に版画のイメージが定着したように思います。

ところで、いつの時代でも芸術が大衆的になるにつれ、作品は作者だけではなく、多くの人の手が加わることになります。浮世絵版画の場合も、絵師の力量に彫師、摺師の技量が加わり、なおかつ版元の意向が強く働くことになるのです。

一方、肉筆浮世絵は絵師の力量、風格、息遣いなどが直接作品に反映されています。そのため、これまで版画に押され気味だった感が否めない肉筆浮世絵は、浮世絵師の仕事を直接見ることができるものとして、国内外でも注目され理解も深まりつつあります。

1999年 内村修一